2008.07.31

●公開講座、募集中

 8月22日、公開講座「大道芸に学ぶ授業技術-通行人を客に変える、子どもを児童生徒に変える-」を開催します。詳細はこちら、申込方法はこちらです。申込は7月31日まで。すでに残席残りわずか。多数のご参加をお待ちしております。
 なお、ゲストパフォーマーとして加納真実氏の来学が決定しました。


■大道芸に学ぶ授業技術
-通行人を客に変える、子どもを児童生徒に変える-

○講座内容
 小学校の三割で「学級崩壊」が起こっている、高校生の八割が「教師に反抗するのは本人の自由」と考えている、といった事態が指摘されて10年以上が経過しました。この問題の一因は、子どもが「教師の指導(支援)のもとで教師の指示(判断)に従って学ぶ者」という意味での児童生徒として自己限定しなくなっている点にあります。教師には、「子どもに児童生徒としての自己限定を求める(教師の指導に従う態度を形成する)」という、これまでになかった授業技術が求められています。
 このような状況の内において、通行人の足を止め、観客に変え、後払いで見物料まで払わせてしまう、大道芸人(路上パフォーマー)から教育者が学べることはたくさんあります。路上パフォーマンスと関連させながら、授業技術に応用可能な原理について解説します。
 

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2008.06.28

奮闘

 朝っぱらから、70年代の「番長もの」映画のような大仰な悪役を演じさせられていた若手四人組のみなさん。関西出身なのに、おそらくは演出家の意図で「極妻」のような不自然な大阪弁までしゃべらされて、悔しいことも多々あったことと思います。大物俳優さえ週替わりゲストとして使い捨てているこの番組に、来週以降あなた達が出演されることはおそらくないでしょう。
 
 大物歌手のバックダンサー経験者さえ含んでいるあなた達が、明らかに素人の主人公にダンスコンテストで敗れるシーンは到底納得のゆくものではありませんでしたが、みなさんのダンスは見事でした。久しぶりに、朝番組を見ずに出勤したカミさんに再放送を見ろと強く勧めました。
 
 おそらくは、主役オーディションで選に漏れた方々の、寄せ集めユニットなのでしょうが、みなさんはチームとして主役を食ういい仕事をなさいました。よくぞ短期間でよいチームを作られました。
 
 何人かの方のブログからは、この撮影に取り組むみなさんの熱意と喜びが伝わってきます。脚本・セット・演出・演技、すべてがおざなりのこの番組に、みなさんのように真剣に取り組んだ人がいることに、何か救われたような思いです。いつかみなさんが世に出ることがあれば、あるいはこの番組に出演したことがみなさんの今後の糧となるならば、おそらく同枠放送番組史上最低作候補の最右翼であろうこの番組が、酷評の中無反省に半年も放送され続けることは、無駄ではないのだろうと思います。
 
 本日はたいへんよいものを見せていただきました。ありがとうございました。

滝裕可里さま
竹田有希さま
長谷川愛さま
森本信江さま

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2008.06.04

時計

 4月からのNHKの朝ドラ、習慣とは恐ろしいもので、駄作を通り越して不愉快な出来映えであるにもかかわらず、時計代わりに毎日のようにつけている。
 『ちりとてちん』以前は、朝ドラのストーリーに何も期待していなかった。たまに見ても脚本のアラばかりが目について、ちょっと知っている若手女優が朝ドラの主役に決まったと聞くと、「ああ、かわいそうに」と思うのが常だった。 『ちりとて』の貫地谷しほりについてもそう思った。
 よりによって『ちりとて』の次がコレである。せめて、朝ドラを見る習慣が薄れてからにしてほしかった。
 
 ベテラン俳優が「もんじゃ屋締め上げてゲロ(白状)させた」と叫んだ時点で、この番組は放送されるべきではないと確信した。「もんじゃ焼き」と「ゲロ」。陳腐で下品な言いがかりである。脚本かアドリブか知らないが、こんな下品で失礼な科白を放送してしまうセンスの悪さ、取材対象への敬意のなさ、チェック機能の不全は救いがたい。番組の特需に沸く業界団体も強く抗議はできまいが、おもしろく思ってはいるまい。
 
 ここ数日、「まゆ毛猫ダンス」なるヒップホップ風のダンスが、これでもかというくらい放送されているのだが、これがまたひどい。
 
 「プロのヒップホップダンサーを目指す」という設定にもかかわらず、主人公の若手女優がヒップホップの素人であることは、素人目にもわかる。それでも彼女を起用したなら、彼女のダンスが下手であることを、総力を挙げてごまかしてやるのがスタッフの義務だ。スケールこそ違うが、映画『フラッシュ・ダンス』では、踊れない主演女優のダンスシーンの吹き替えには、男性も含めて4人のスタントが充てられたという。
 
 ところが、あろうことか、無名だがそこそこダンスのレッスンを積んだ脇役の若手女優たちと、横一列に並ばせて踊らせてしまう無神経。もちろん、主役がいちばん下手くそである。体幹部の関節を独立させて動かす「アイソレーション」は、この種のダンスの基礎練習の一つのはずだが、それを練習した気配さえない。板のような背中と無造作に振り回す手足。背の高さが災いして動きがますます大味に見える。主役、さらし者である。本人は気づいていないのか? 恥ずかしくないのか? 誰か教えてやらないのか?
 
 振り付けはプロのダンサーによるものらしい。何か忠告してやれなかったのか?
 
 どうやって制作したら、こういう雑なドラマができるのだろう? いや、もはやドラマと呼べるかどうかさえ疑わしい。えんえんとナレーションで語られる養育家庭(里親)制度の解説に、「まゆ毛猫」のPV。毎日繰り返される「昨日までのあらすじ」。脇役に出番とギャラを保証するためかに見えるワキ筋の数々。わずか15分にこれだけ詰め込んでは、ストーリーも何もあったものではない。
 
 前作『ちりとてちん』は、時計代わりにつけておくには水準の高すぎるドラマだった。視聴率的に苦戦したのはおそらくそのためだ。今回はその教訓からか、何もかもナレーションが説明してくれる「親切」な作りになっている。しかし視聴率的には苦戦が続いているらしい。「時計代わり」を目指した結果、「時計代わり」にさえならなくなったということだろうか。

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混同

 先週わが子は、猛烈な下痢と嘔吐に苦しんでいた。深夜目を覚まし、身をよじって泣く。その泣きっぷりは、ふだん空腹を訴えるときに酷似している。母乳を与えると果たして猛然と飲み、数時間後に噴水のように吐く。
 
 いや、新生児の頃は確かに噴水だったが、今では継ぎ目がはずれた水道ホースのようだ。苦痛にのたうち回りながら胃の中身を全部まき散らす。毛布といわず布団といわず絨毯といわず、深夜の大洗濯、大掃除の幕が開く。
 
 医師によると、腸の具合が悪く、食べたものを肛門に向けて送り出すことができないと、飲み食いしたものを口から出してしまうのだという。その後の観察で、腹部がポッコリふくらんでいるときは要注意だということがわかってきた。おそらく、たまったガスが嘔吐を促すのだ。
 
 そのうちに思い至ったこと。この子はまだ、空腹と腹痛を泣き分けることができないのではないか? いや、もっと言ってしまえば、空腹も腹痛も、「腹部の不快感」として一括りに感じられているのではないか?
 
 かくいう私が、確か3~4歳の頃、友人宅に一泊した翌朝、「腹が痛い」と大泣きしたことがあった。大騒ぎになったが、結局のところ、そのうちの子が女児で元々食事の量が少なかった上、よそ様で遠慮したため、夕食を十分にとらず、朝になって空腹を覚えたものと判明した。
 おそらくうちの子も、空腹も腹痛も同じように感じ、同じように泣いているのだ。
 
 本人も気づかないわずかな徴候を感じとって、あるいは前後の文脈から、空腹なのか腹痛なのか判断し、適切に対処し分けてやることが、親には求められている。

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手渡

 子どもが、おもちゃを親に手渡しするようになった。どうかすると、こちらの手を自分でつかんで手のひらを上に向け、その上におもちゃを載せてくれる。
 
 載せた後は必ず、自分に向かって盛大な拍手。
 
 ちょっと前まで、つかんで振り回したり、両手に持ってカチカチ打ちあわせたりしていたのに。いくら教えられたこととはいえ、人とのつながりが遊びの中に生まれてきたことは興味深い。
 
 そしてもう一つ興味深いのは、渡すことはできても受けとることはできないこと。手渡してくれたものを、同じようにして手渡そうとしても、手のひらで受けとるのではなく、自分でつかんで持ち上げてしまう。
 
 小学校低学年児童は、誰もが一方的に教師に話しかけるので、容易なことでは話し合いが成立しないというが、それはきっと、この「手渡せるが受けとれない」現象の延長上にある。
 
 なお、2歳児以上を徒歩で園外の散歩に連れ出すとき、保育士さんたちは一人一人に同じ注意をするという。もちろん人数分同じことを言うのだ。「この私」に話しかけてやらなければ、園児たちは聞き取ることができないのだろう。この傾向は、以前に比べて年齢が上がっても残存するように思う。
 
 育児にかかわって以来、ある種の人々が標榜する「理想の教育」は、乳幼児の行動様式をただ追認するもののように見える。彼らが社会的影響力を持った結果、青少年の乳幼児化が進んだということなのかもしれない。

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2008.05.20

新刊

 「身体活動と考える力の成長」 浅沼茂編『「活用型」学習をどう進めるか(教職研修総合特集「新教育課程の学習プロセス」No.2)』、48-51頁

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2008.05.18

合掌

 食事を一口食べて、我が子が合掌した。
 
 そういえば先日の保護者会で、「食事時には”いただきます””ごちそうさまでした”の合掌を欠かさない」と報告があった。さすが仏教系の保育園である。
 
 どう考えても、その合掌がすでに習慣化しているということだろう。試みに、「いただきます」や「ごちそうさま」と声をかけてみたら、もれなく合掌して見せた。
 
 驚くべき模倣力。子どもの前での立ち居振る舞いや言葉遣いには、よくよく注意を払わなければ。
 
 それにしても、この合掌、狙っているのかいないのか、見事な「親育て」にもなっている。我が子の合掌見たさに、家庭でも「いただきます」「ごちそうさま」を言うようになる可能性があるから。
 
 そんな保育園のきめ細かい配慮にもかかわらず、保護者アンケートには心ない厳しい意見が並んでいる。おそらく、少数のクレーマーによるものだろう。そして、その意見が印刷され、全保護者に配付されることで、ほとんどの保護者は園の味方になってゆくに違いない。ここにもしたたかな作戦の気配。

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極意

 我が子の首がようやく据わった頃、縦に抱っこしていると、眠くなったか私のほお骨のあたりに額をあててもたれかかってくることが何度かあった。
 とたんに腰が反り返り、今にも後ろに倒れそうになった。乳児の頭一つ分の重量でも、思いがけない向きに加えられる力には抗しきれないようだ。
 
 そして数日前、食事の時。
 
 空腹時に好物を与えると、親の持つスプーンにみずから手を添えて口に押し込む我が子。のどに詰めたり、そのままスプーンを握りしめて遊んだりすると厄介なので、スプーンや手首をつかまれないように注意しながら食事を口に運んでいたら。
 
 なんと、父のヒジをぽんと叩きおった。スプーンは苦もなく口の中へ。
 
 こういう、武術の達人のようなことを、乳児は時々巧まずしてやってのける。

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2008.05.10

勝手に宣伝二題

その一。もう今日だけど。

2008年5月10日(土) 中目黒「 楽屋 」  - リオ meets 小泉清人 -  

リオ (vo.) , 小泉清人 (g.)
        
12:00 open  1:00 start  予約1600yen 当日1800yen 
学割あり(1500yen/2日前までにご予約の学生さんは900yenになります)
 小学生以下無料

緑が見えて♪ お料理が美味しくて♪ 音がとってもステキ♪ な、中目黒「楽屋」さんで、
大好きな新緑の季節に、またお昼ライブさせていただけることになりました♪
さらによい音を聴いていただけるよう、がんばりますので、
どうぞよろしくおねがいいたします~
ご予約は、お店へのお電話 03-3714-2607か、メール< yoyaku@rakuya.net >にて

その二。

HEARTFUL GOSPEL LIVE


2008/06/09 1900開演
ヤマハエレクトーンシティー渋谷


沢山の方に素敵なハーモニーをお届けします。
是非是非、皆様お誘いの上、遊びに来てください。
お待ちしております〜。

お申し込み,お問い合わせ→say_music_office@yahoo.co.jp

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2008.05.07

頭部

 子どもが「はいはい」をするようになってずいぶん経つ。今では猛烈なスピードで進む。片膝ついて、もう一方の足は膝をつかずに爪先で地面を蹴って進む。速い速い。
 
 その速さの秘密が、身長に比して巨大な頭部にあるのではないか、と思い至った。
 
 大人がハイハイを真似る時、どうしても手足で地面を蹴って進もうとする。しかし乳幼児の場合、重たい頭部をちょっと前方に押し出してやれば、その頭部を地面に落下させないために、おのずから手足が前に出る、というところがあるのではなかろうか。
 
 そんなことを考えている間に、もうすぐつかまり立ちも卒業。ハイハイももうじき見納めである。今のうちによく観察しておこう。

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